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お話伺いメモ 2008/10/11

60代女性、伺った際、元気な大きな犬とともに出迎えてくださった。この犬とは震災前から連れ添っているということだった。旦那さんは結婚後から約20年間病の後遺症により半身不随で、自力では生活していけない状態であった。震災の際には痴呆症状も見られた。約二年前に肺炎を患いお亡くなりになった。その20年間誰にも頼ることなく付きっきりで介護をされた為、外との接触はほぼ無かった。現在も買い物、犬の散歩、通院以外は外に出ない。旦那さんがお亡くなりになってさみしいですか?の問いに、一人で読書を楽しみ、夫の世話に煩わされない自由で気ままな生活を送れているので満足だとお答えになる。誰とも関わらない生活を送られているということで多少気がかりではあったが、顔色が良く生き生きしてらっしゃり、しっかりした強い女性だと見受けられたので少し安心した。

60代男性、東灘区にて被災。一人暮らし。訪問を告げるとニコニコ笑って家の中へ。震災の時は居酒屋を経営。商店街は鉄骨作りが多くて殆んど崩れなかったが、近所でも木造の旧家が全壊し、梁の下敷きになり亡くなられた方が見えた。震災が起こるまでボランティアなんて、と思っていたが、それは誤解だった。また「ありがとう」を本当の意味で「ありがとう」と言っているのを聞いた。ボランティアはやらないと意味無い。居酒屋を再開するタイミングに悩んだ。JRの開通をキッカケに開業したが、被災して困っている人がいるのに何で開業するんだと言われると思ったら、店に集まってくれたお客さんが元気になったと言ってくれてよかった。震災後しばらくして脳梗塞で入院・商売も廃業。入院中に医師が生活保護の書類を整えてくれた為、退院後直ぐ手続き。昔は軽音楽をしたこともあり、あの宝塚の大舞台にもたったと、レコードのジャケットをみせ、いまも英語の歌詞カードを作ったり、多趣味のご様子。歓迎されて1時間半ほどの訪問となった。

70代女性、一人暮らし。インターホンを押しているときに帰ってこられた。最初は、ボランティアには用がないと話されたが、被災地だけでもと聞き取り、訪意を告げると中へ招き入れていただいた。六甲で被災。避難所生活の後、ポーアイの仮設で3年間暮らす。ここへは4年前に入居。被災直前まで、スナックを経営。おいしいコーヒーをごちそうになった。今でも元気な様子で自転車で三ノ宮まででかけられることも。ただ、あんまりお客さんもないから、今日は来てくれてありがとうと話してくださった。30分程度のお話伺いのあと、握手をして別れた。

70代後半男性、夫婦。兵庫区にて文化・借家全壊。妻は震災以来、身体の具合がおかしくなり、4年目に入院以来今日に至ります。薬がなく、ただ入院して死期を待つ状態です。ここは5年目に当り引越してき、それまでは被災地を転々とし、そのため妻はすっかり体調を崩してしまいました。私は幸い勤め先がありましたので何とかなりましたが…その勤め先も先日退職、今は後片付けの為、週3日ほどでています。(留守、書置き)

70代女性、1人暮らし。中央区で全壊。ヘルパーさんの後、女性が出られて、ドアの取っ手を持ってようやく話しが出来る。震災の時は大変でした。何ももたずに飛び出した。気がついたら青い空が見えた。近くの小学校に避難した。ここへ入居してから身体が悪くなり、エレベーターの前え行くにも2〜3歩しか歩けないようになった。家族は弟がいたが病気で亡くなって私1人。向の棟やこちらの棟の人が親切で助かっている。

70代女性、夫婦暮らし。中央区で全壊。倒れてきた物で怪我をした。避難所に入れず、マンションを借りた。震災前は若かったが、年を取ってきて悪い所が出てきて、それが気がかりです。今日も気分が悪いので寝ていた。この建物の周りの植物の世話を2〜3人でしている。春にはあじさいが見事です。良かったら見に来てください。

70代男性、夫婦暮らし。須磨区で被災。住めない事はなかったので住んでいたら、役所が危ないから出てくれというので、東灘のマンションを借りて引越した。今後の事では、やはり心配なのはお金のことと健康の事。糖尿病と高血圧があり、毎日のように点滴をうけている。楽しく2人で暮らしていけたらと話された。笑顔のすてきな方でした。

お話伺いメモ 2008/10/25

60代夫婦。東灘区で被災。東灘区の仮設住宅で4年程過ごしたが、周りの方々が仮設を去り、最後の住人となって、仕方なく越してきた。以前は大型バイクに乗っていたが、6月にケガをしたため、活動範囲も狭まり、友人が少なくなりつつあるのが寂しいと。

70代男性。中央区で被災。その後ポーアイの仮設へ行き、ここへは10年前ん入居。一人暮らしだが、散歩に励むなど、元気に生活されているご様子。

70代男性。中央区で全壊。被災直後は小学校に避難したが、風邪をこじらせ入院。入院したことで、避難所での苦労は少なくて済んだと。その後、息子さんと二人暮らししていたが、息子さんのご結婚を機に入居。バイクに乗って買い物や、ポーアイの息子さんの住まいに遊びにいくなど、お元気な様子。腫瘍の手術で夏に入院したものの、ヘルパーさんなしで暮らされている。洋服の仕立て業を営んでいたが、震災で失業。幼少期から足を悪くしていたこともあり、新しい仕事に取り組めなかったと。地震は人生を狂わすと話される一方、全てを震災のせいにしてはいけないともおっしゃられ、前向きに暮らしているご様子が伺えた。約1時間程の上りこんでのお話伺い。

60〜70代男性。灘区で被災。ご自宅は無事だったものの、震災後の周囲の家屋の改修・撤去工事の際、重機が誤って家屋の一部を撤去。市側へ申し出るも、何ら補償してもらえず。震災直後は、大変な方ばかりで、諦めざるを得なかったと。しかし、生きる上では色々なことがある、いま、食べていければそれでいいと、達観したご様子。波乱万丈の半生をお話いただき、1時間半のお話伺い。


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