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お話伺いメモ 2008/11/8

80代男性、中央区で被災。労働組合の組合長を12年やって、会社にいうべきことを言い続けてきた。息子さんやこの復興住宅に駐在するヘルパーさんが、低賃金で不安定な雇用にあるので「今の若者はかわいそう」。高齢者が多い住民にはとりわけ「言葉をかけることが大切」。住宅入口前のベンチに座り、住民の方と談笑する中でお話しを伺う。

70代女性、一人暮し、東灘区で全壊。助け出されるまで6時間ぐらい生き埋めになっていた。京都府の息子さん宅に避難、走る電車を見ると「あれに乗れば帰れるのに」と涙が出た。北区の仮設住宅では、寒い冬に風呂の湯が冷えたり凍結した水道管が破裂したりして困ったが、周囲の人やボランティアの優しさが救いだった。戦後の引きあげで苦労したので、震災のときは落ち着いていた。震災前からのリウマチに加え、近年はさまざまな病気を抱えている。昨年、バス停で遊んでいた子どもがぶつかってきて骨折、骨がつきにくく今年再入院、今もリハビリが続く。ご自身で記入された支援シートをもとに、住宅前のベンチでお話しを伺う。

お話伺いメモ 2008/11/22

60代女性、兵庫区で被災。全壊。表札の出ていないお宅のドアホーンを押すと、出て来られた女性は一部の週ボラのメンバーと今でもお付き合いのある方だった。震災では住居も店も全壊、その後2度の大手術を乗り越えられた今、こうして自分が元気で、ご主人も働きながら旅行や趣味で楽しんでくれているのは幸せだとおしゃていた。近くで孤独死があったとき、自分がその人に何もして上げられないのが口惜しくて、残念だと言われる。こえかけは大事だと言われる。声をかけられた人は、パァと明るくなる。再訪を約して、90分のお話し伺いを終わる。

50、60代のご夫婦。兵庫区で被災。若いときはタクシーの運転をされていた。おかげで色々の人と合い、人嫌いになり、余り人と話すのは得意でない。夫婦で散歩する事もあるが、奥さんのほうが早足なので最近は別々に散歩する。ベランダと玄関入り口には綺麗な草花が一杯。しあわせの村の近くにいましたが、早くここに越した。お子さん2人近くに住んで安心のようです。

80代の女性、灘区で全壊。2階建ての長屋の2階にいたとき。朝まだ布団の中にいたら、どんっときて1階に2階が落ちた。1階の人は亡くなった人もいた。近くの学校に敷布団と掛布団とを担いで避難した。布団のない人が私も入れてというし、断れないので1組の布団で女性ばかり5人で寝た。ここへは、その学校から5回目の抽選に当って入った。仮設住宅というのは避難した学校の校庭で、そこで煮炊きも出来ないから、出来合いのものや弁当を買ってきて食べたりしていた。旦那さんは1年前ほどに亡くなって、今は一人暮らしなので、ご飯の用意もしなくていいし気が楽。二十歳で結婚して50年。主人は朝家を出たらいつ帰ってくるかわからない人だったので、自分もあちこちの病院で働いた。朝テレビを見て、1日の出来事がわかったら、後は何もしない。新聞もどこの新聞とらない。子供は2人。7歳違いの姉は頭が良いので羨ましい。友達が多い。それは人の気持ちが判るようになったから。明るい年には見えない方。

70代の女性。灘区で全壊。血圧が高い意外は病ナシ。お孫さん所へ色々買い物してゆくのが楽しい。そして今が一番楽しいような気がすると、明るく喋ってくださり、こちらまで嬉しくなりました。


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